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ニュースとレジャー
オペラ地区-パリ、ルーブル美術館

ヴァンドーム広場

ヴァンドーム広場:世界でも最も美しい広場の一つが、ホテルからたった7分のところに。

ヴァンドーム広場は、かつて上流階級の邸宅であった建物28軒に囲まれ、建築物との見事な調和を生み出しています。建物のほとんどは歴史史跡の指定を受けています。

この広場建設を発案したのは建築家マンサールで、自ら八角形の設計図を描いています。マンサールはルイ14世の主席建築家であった人物で、ヴェルサイユ宮殿の数々のモニュメント、中でもノートルダム・ド・ヴェルサイユ教会やグラン・トリアノンなどを手がけたことで知られています。

マンサールの手がけた新ムードン城。ヴァンドーム広場の建築様式と驚くほどよく似ている

ブルヴァレ館は法務省本部。詐欺の罪でバスティーユに投獄されたポワソン・ド・ブルヴァレが、その釈放と引き換えに手放した館といわれる。

旧グラモン邸は現在ホテルリッツと呼ばれ、パリでも最も美しく格式高いホテルのひとつ。

パリの高級宝飾店が軒を連ねる広場

1893年、ヴァンドーム広場に最初に店を構えたのはブシュロンでした。ついで1898年にカルティエ、1902年にショーメ、1906年にヴァン クリーフ&アーペルが店を出します。

1997年には、シャネルが時計・宝飾専門店を出店。特にガブルエル・シャネルはヴァンドーム広場をこよなく愛し、何年にも渡り広場に住まいを構えました。かの有名やシャネルNo.5のボトルは、この広場の形からインスピレーションを受けたものだとも言われています。

ヴァンドーム広場の記念柱の歴史

ヴァンドーム広場とルイ14世の彫像

ヴァンドーム広場は、クーデター、革命、王の結婚など数々の歴史上の出来事の舞台となりました。もともと太陽王の威厳を伝えるために建設された広場でしたが、その後歴史に翻弄されることとなります。ルイ14世の彫像は1789年、フランス革命の名のもと破壊され、1810年、シーザー姿のナポレオン一世をたたえた新しい記念柱が設置されます。皇帝ナポレオンの戦勝品、大砲1200台分のブロンズが、この記念柱鋳造に使用されたと言われています。1830年、ルイ・フィリップの治世下、記念柱上の彫像は、ナポレオンの愛称にちなみ、「ちび伍長」姿の皇帝像に置き換えられ、ついで元のナポレオン像のレプリカにとって代わられました。その後、記念柱は1871年、パリコミューンの首謀者らにより一度取り壊されましたが、1873年元の場所に再建されました。画家ギュスターブ・クールベは記念柱の破壊を参画したとして、再建費用の一部負担を言い渡されました。クールベはスイスに逃亡し、その支払いを免れたといわれています。

なお、現在ヴァンドーム広場の記念柱は修復中です。

パリコミューン時のヴァンドーム広場記念柱の破壊
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